じっ、と、人々の所作、表情や足元のおぼつかなさや、そういうのを手がかりに実はチェイサーがこのグラスのいくらかなんですよって、それがお上手だから重宝されてもわたしの肝臓もお身体もよくなるのと反対へひっぱられるのに、それでもお上手だからというのはここにいていい安心をくれるから浸ってしまう。嫌いにもなれない。安心。あんしん。ふーっと、ため息をついて、うっかり泣いても許されるのは後者。ため息をつくなよ陰気くさい。いい歳して甘えるな。泣くな。わたしが、あまりにも、ある言葉にこだわるからこんなにも苦しいのかな。じっ、と見る。見ているはずなのに、わたし以外のみなさまは反射的になんて評される。わたしはあのような所作を放置するみなさまの感覚が信じられないんですよっていうマイナスの感情を込めて「また今度整えなおす」って、せっかく約束してもらった髪の毛を適当に切った。適切にあてがう、ではなく、雑に、というときの適当。うまく我慢できないのも、我慢せずにいるのも、とかく、うまく、というのはむつかしい。速さ、スピーディーであることが良しとされるのが、もしもヒトひとりの生きざまにもあてはまるなら、それはやっぱり焦る。チェスでもなんでも一挙に勝てはしなくて、一手ずつすすめて、ようやく勝てるのにね。どうしてうまくやれないのかな、うまくやろうとするのかな。