料理やサービスの質と体型に関係はありそうできっとない

サービス業と呼ばれる界隈ではない方と話す機会がこの歳になって増えつつある。お取引先様と直接やりとりする場合はもちろん、そうではない場面でも。特に後者の場合を振り替えると「我々のモノサシ、体型に関するモノサシはやや異常なのでは。」と、時々感じる。我々、といっても厨房さんや、厨房からサービス提供にまわられた方はちょっと違う気がする。ふくよかなのは美味しいものを人より食べているから、美味しいものを食べているつまり知っているということは舌が肥えているだろう、だから調理人としてすぐれている。みたいな。もちろん例外はあるとして「たしかに!」と、即答してしまう程度には料理に華を添えるサービス提供者とはすこし見ている見えている景色が違うのかもしれない。わたしが「サービスの基礎」を積むぞと意気込んでから言われたことのなかで今でも覚えているのは、防犯カメラはないものと思え。このわたしの目玉でホール(もちろん売り場でも同じこと)の隅々を見渡しなさい、お客様の動きを見逃すなどあり得ない。見られていることを忘れるな、背中にも表情を持たせろ。これは見られつつ魅せる洋舞に似ているなあと感じる。お箸をまともにもてないのにペンは正しく持って書いてを出来るのはこの意識のおかげ。手書きの伝票をご用意しているとき(最悪収入印紙が傾いていても所作がちゃんとしていたらなんとかなるというちょっとずるい考えもここにはある)、オーダーを手書きでいただくお店ならそのとき、筆談でのやりとりのご要望があったとき……サービス提供者、手先が重要なのです。指の先の先、そのまた先まで神経を張り巡らせて!これも、洋舞に似ていますね。今現在はグランメゾン勤務でないわたしはここまで意識することは減ってしまって、という自覚があるのに以前「五指の使い方が綺麗」と、よく観察していないと出てこないお褒めの言葉をいただいたから。褒めるも怒るも、その人を見ているからこそ、ですね。たまには労働にまつわる自動筆記擬きもどうかなというやつ。