ふぬ

鬱病心の風邪という言葉が膾炙しきったあとの昨今、あれもこれも発達障害だ。を、よく聞く。ような気がする。でもわたしは、たとえば「がんばろうニッポン」ではなく「がんばろうワタシ」、手前のことで手一杯なのでわたしのみに限った感覚をお伝えしてみるの巻。

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現在に至るまでの診断名はさておき。

アスペルガー症候群および乖離性人格障害。これが今現在の、わたしの診断名。障害者年金も手帳も、どちらの申請においてもこれ。お役所仕事はマイペーーーーーーーースなので支給も交付もまだまだ、というのはまた別のお話。

この診断名へ辿り着くまでの、わたしの感覚をお伝えしたい。もちろん、どの感覚も現在進行形でもあります。

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客観/主観問わず、「このわたし」が世界へアクションしている。これはひじょーーーーに強い。「このわたし」が、責任をもっている。責任をもったうえでの選択肢。「このわたし」は世間(という存在があると仮定した場合)において少数派。この感覚を足場にして「他者へご迷惑をかけてはいけない」があるのかなあ、と。

それから、言葉の使い方あるいは選び方。「うわあああもうむりいゆるめたいいい」という程度には既に、慎重に言葉を選んでこれを書いています。共通言語とされている言語の使い方が独特?文脈が独特?このあたりを伝えるのはまだまだまだまだむつかしい。

肉体的な性別に対する違和は、さほど生活に支障なく、なので直視していないのですが。「女子会」の話題はお酒の入った男性陣の、下世話なお話よりえげつない。できればその場にいたくないみたいなことはしょっちゅう感じる。これは性別でハッキリわけるのもむつかしそうですし、わたしは対話相手がたのしくされているならたいていの話題をともにたのしめているはずなのもあって、さして気にしない。いや、「女子会」はあまり出席したくないですね……。どろっどろの、昼ドラのようなやつ。

 

こだわりも強いかと。わたしの周囲というのはサンプルとしてめちゃめちゃにすくないのですが、それでも強い。

アスペルガーではなく自閉症と言ってほしい、みたいなこととか。

これはなぜかというと、片仮名はジャーゴン、ごくごくローカルな世界でしか通用しない「業界用語」になりがちだから。なによりも漢字は、たしか象形文字で、イメージを膨らませやすいから。みずからのせかいにとじこもる。自ら。閉じ籠る。自閉症。これは、すくなくともわたしに対して発される場合、差別用語ではないのです。

 

そしてなによりも、このようなことをお伝えしたからといって以前と対応を、できれば変えてほしくない。そういうことを思ってたのかあ、ま、また遊んでやんよ。そんな方におかれましては、これを知ったから以前よりも気をつかってほしい意味ではないと。せめてそれだけはという気持ち。