やさしい、って、むつかしい言葉だ。やさしいねってお伝えしたり、あの方のこれこれはやさしいねってぜんぜん別なところでお伝えしたり、そうするとそれはわたしの「ハードル」が低くて当たり前とも思わずたいていはやっているよ。一方で、対面している相手の機嫌が損なわれた(ビジネスパートナー的なパートナーではなくライフパートナーの場合はたぶん例外だろうけれど)場合、何か悪いことをしたかなって巡らせるのは優しすぎるって。まあツイートなんだけれどね、って流しかけていやいや結構それはあるよってご指摘いただいて、そうして記憶を辿ったら何度かそういう「やさしすぎる」は発生していたかもしれない。

いまその詩集の雰囲気を味わいたくてでもお目目痛いなあって読んでもらったらとてもよくて、絵本の読み聞かせじゃなくても、こういうのもいいかもしれない。そういえば事務所がぐっすりになりやすいの、話し声など雑踏の音がやかましいかもしれない。電車の走る音とかさ。静かな、雨の日はだからとても苦手。なんならこわいときもある。

あんまり笑えなくなったな、と、気付き始めた頃から笑えるような夢が起きる直前に配置される。それまではやっぱりしんどい夢だから、泣きと笑いの間の子みたいな、ぐちゃぐちゃの寝起きがますますひどいね。