2021.02.22(mon)

正義を振り回す人間のことを、さぞや自信がおありなんでしょうね羨ましいですねと感じていたこともあるが、もしかすると知らない世界におそれおののいているのかもしれない。たしかに、既知のこと、おなじみやいつも通りは安心を与えてくれるし。目についてしまったいわゆる弱者叩きにも似たところがあるかもしれない。生まれてから死ぬまで一切の病気にも罹らず五体満足のままでいられるものすごい自信家なのではなく、自分だけは何にも脅かされることがないのだと信じて、安心したい気持ちがあるのかもしれない。かもしれないなーと、興味のうすい店々の棚を眺めるように、ここは心を動かすのにあまり適さない場所なんだと言い聞かせている。精神をくだくのは、わたしが信じてたいせつに、だいじだいじに抱えて置きたいモノのためにとっておく。切り札は切るためにあるが切り札は無限なのかなっていう、いつかのぼやきがなぜか寝起きで思い出された。自身の歯ぎしりで覚醒と睡眠のあいだをうろついているせいかもしれない。歯ぎしりはしかし今のところ、死ぬかもしれないという恐怖を与えてこないから過呼吸よりはずっといい。精神的負荷が引き金であれば、だが。電車を各駅停車にして、あるいは地下鉄の数駅程度なら歩いてしまうことで避けられてはいても、今現在の働き方でしか通用しない対処でしかない。はたして根本からどうにかできるのかもわからない。弱いままでも受け入れてほしい傲慢さではなく、弱さをなだめつつもやれるわたしでいたいですね。