2021.04.16(fri)

いまのところへ越してきてからほぼ年一で、ややおおきめの体調崩しが発生していて、それが病院の領収書によるとひと月ごとに冬寄りになっていて、そろそろ、久々に、きちんと流行の波に乗って冬季インフルエンザとかをやらかすかもしれない。以前よりずっと体調の変化に敏感で、それだけで神経が疲れるような気がするし、そしてこれはわたしだけが異常に「気にしい」なだけではない、そこのみは安心できる。みんなと違うのって、やはりどうしてもこわいですね。奇異の目が、おそらくはそれが最もこわい。昨年のやらかしでよくなかった点は、次はちゃんとやるぞと決めた部分はたぶんクリアできたはずで、頼るのが苦手だから、頼るのをうまくやらなきゃという意識もきっとだいじなのかもしれないが、頼るのはむつかしいそうだ、むつかしいんだと、では一人でやるぞとやってみて、実際できた時の、大仰にいえば感動は新鮮で、とてもよかった。わたしはわたしの労働をほとんど常にチーム戦だと捉えているのもあって、なかなかこのわたしがやり切ったぞ感を得ていなかったんだなとも気付けた。もちろん今回の、お熱にまつわるやり切った感だって、まったくの一人きりでやったわけではないが、なんとなく、収穫の多いイベントだった気がする。病み上がりのときも、どうしても胃袋の調子もリンクして悪くしてしまうから、食べられるんだろうかという心配が先行するのだけれど、まあサシ飲みならリスクはまだすくないだろうと、おうちご飯より上等なモノでうまく気持ちを盛り上げて、なんだ大丈夫じゃん、食べられるなと、自信を得られたのもよかった。何かしらが起きたときに、何かを得ようとする。何を得て、何が得られなくて、それは次にどうしたらよいか、貧乏性ですね。ひとつのことに、ひとつ以上を求めないと惜しい気がするのです。