心中のわだかまり言語化することは大切だという言葉はまったくその通りだと思いつつ、しばらくここに頼っていなかったことを思い出し、それはなんだか矛盾しているのではないかと自らを質すあたり、やっぱりちょっと最近は余裕がないみたいだ。余裕がない、特に精神面の余裕がないと何もかもうまくいかなくなる。気がする。金銭的な余裕に関しては、たいてい、まあなんとかなる、と経験込みで思っているのだがそれは若さゆえの諸々も含むのだろうなとも感じられて、今後、これから、長く生きねばならないのだとしたら、余裕のなさを解消するすべ、半畳でよいからどうにか空白をつくらねばなと思ったりするが、それもまた難しい。この難しさは、わたくしの場合、精神の余裕が減るにつれて環境の治安が悪化する、わかりやすくいえば汚部屋化の一途を突き進んでしまう。のみならず、積極的に清潔さを保持したり求めたりする気持ちが減少し、接客サービス業として最低限の、制服の清潔さ保つことや、今夏はひどく暑いために日に二度三度のシャワーを浴びることだけで手いっぱいになってしまう。見目をすこしでも良くしようという気力が削がれているのでしょうね。でもきっとさまざまを、さまざまな手助けを受けながら、乗り切ってきたわたくしだから今度も大丈夫なのよと慰めていくしかないのです。死にたいと願うほどに長生きしてしまうかもしれないのだから。長生きしてしまうのなら、なるべく周囲がわずらわしさを感じる頻度を減らしていきたい。贅沢だろうと自嘲する一方で、もう他に何も望まないから、安寧と自力でやれる強さとだけがほしい。死ぬまでの安寧が高望みだというなら、せめて悪夢を見る回数を減らしてほしい。