2018.08.25(sat)

選曲によるものかもしれない。ただ最近、しっかりと時間をとり、諸々の調子が良ければ柔軟体操のち、軽くパ。重ねて重ねて、それでも舞にはならない。階下に音が響くから、食器が散乱するかもしれないから、棚が倒れるかもしれないから。ではない。ぐ、と、五指で地を踏みしめたあと、の、重力のない感じられない世界へ行くことがこわい。あの日あの時、両足あわせ十指で地を蹴った。それから、横隔膜を内へ内へと意識し、リフトされたはずだった。何節と経っていない。音楽だって。一瞬、というのかもしれない。長いような気もして、でも、短くも感じられた。とにかく自分の意思で立ち上がることもトゥで立つこともできなくなり痛みで眠れず腰に痛み止めを打ってもらい、退院できても五体満足でもわたしは不満足だ。未だに。二度と、チュールに風を孕ませ、妖精のように一国の王妃のように王妃となるであろう姫に悪い魔法をかけることも春の祭典の一員となることもできないのが不満足以外のなんだというのだ。選曲がわるかったのか。音楽が身体に流れ込み、ヒトの言葉に置き換わるその言葉は哀しみ苦しみ悔しさ、負の感情しか降りて来ない。たすけてほしかった。「舞だけが、他者へ幸福や楽しさ、感動を与えられるわけではない。」と、すっかりセケンサマという得体の知れぬ魑魅魍魎に惹かれた引かれた轢かれたわたしはサービススタッフとして頂に立つのです。トゥシューズが履けなくても。