2019.01.14(mon)

わたしはわたしが女性であるにもかかわらず女性に惹かれる、それは、きっと、思春期にありがちな、性自認の不安定さだと思っていた。そのように指摘され、そのように思い込もうとした、のかもしれない。変人だと揶揄される回数があまりにも多くて。嫌気がさして。進学するつもりなく高校生になり、うっかり学部生になり、学費の支払いが続けられずに自主退学し、いよいよ労働に打ち込み、ラディゲに憧れて20で終わらせる人生が25年、そして、そろそろ30年になる。綺麗なお姉さまに養われたい。最期は一升瓶を抱えながら眠りたい。なんやかんやと、この願望を15年以上持っているのですねわたしめは。

でろーんと、男性に甘える姿を見て、他者たちは異性愛者だと思うらしい。それは、でも、変"ではない"から良いカモフラージュだ。甘えられるのは、緊張しないから。よく聞く、女子校の、だらけた女性たちの振る舞いはときにわたしを幻滅させ(嗚呼あのかわいらしい子がお行儀わるく!)、わたし自身は緊張して、それはもうどうしようもなく恋愛対象の性別が女性だから。もちろん、緊張しない女性もいる。すべての女性が恋愛対象"ではない"のは異性愛者と変わらない。しかし、とてもインタネッらしい言葉であらわすなら、わたしは「男子中学生」というのがふさわしそうだ。女性とふたりきりは緊張する。良い匂いだったら、なおさら。いまイチオシは最寄路線のひとつの、駅前の喫茶店のかわい子ちゃんと、某4°Cの美人さんです。

 

でもね、良いですか。

カテゴライズにこだわることほど、馬鹿なことはありませんよ。たいせつなのは、すきな気持ち。嫌いなモノに時間を割けるほど人生は長くない。嫌い。苦手。このふたつは似ているようで、違う。克服したい気持ちがあるものは、苦手。たとえば算数や英語。嫌いなのは他者の気持ちから遠ざかる行為。あるいは裏切り。すきなものは生食可能な魚類。それに合う酒類。安心できる他者。

 

理想の最期は一升瓶を抱えながら眠りたいから、生食可能な魚類を和装やら洋装やらさまざまの綺麗なお姉さまたちに食べさせてもらいながら好んでいる酒たちを飲ませてもらいながら気付いたらこと切れている、です。更新およびランクアップされましたことも、あわせてご報告いたします。