2018.12.16(sun)

ポジティブであることが絶対的な善ではないけれど。もすこし、このわたしの考えを日向へ寄せたいなあと巡らせていたところへこんな投稿が。

 

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所有物が職場行きのリュックに入る以外、すべてリセットされたのをきっかけに、より、身軽であることに重きを置いている気がする。

部屋のぐるり、四面も床も天井も(!)すきなモノであふれさせて、でもそんなに満足していた記憶はない。むしろもっともっと不安で焦燥がひどくて。

値がはるから滅多に買えない、けれど、とてもすきな召しもののブランドがある。「40代はすきなものが見えてくる年頃」みたいな、そんな文字がメルマガに踊っていて「そんなふうになれやしないわ、30代を乗り切っておしまいとしましょ」となった。が、わりあいにすきなこと、たいせつなこと、今でも見えている気がする。

 

まず、調理すること。

なぜだか料理と呼ぶより調理と呼ぶのがしっくりくるがやることは、たぶん、同じ。スーパーの青果コーナーを眺める。ああ、このお野菜が出回る時期なのね。ふむ、この食材は西日本や東海地方では見かけなかった。ほほー、太平洋が近いとこのような魚たちが出回るのね。ぼんやりと、出来上がりを頭に浮かべる。決め手は、まだ。念のため、鮮魚から精肉コーナー。うーーーん……デリカを眺めて、参考に。酒たちのラインナップはマイナーチェンジしたかしら。あら、イタリアの微発泡だわ!青魚にしましょう。

食べる手段、仕事とする以前から当時、シェアハウスのごとく暮らしていた方のため「秋冬だけれど汗ばむ昼間だったから」と、夏向きの器を出したり、冬場は根菜類で彩りが寂しくなるから、食器を鮮やかな、けれどあたたかみのあるものにしたり。もう、食べさせる人、美味しいとか味が足りない、これを足せば良いだの言ってくれる方はいなくて、でも、食卓に季節を呼ぶのはすきだ。人生において摂食する時間はとても短い。これは受け売り。わたしは食を通してプラスの感情を他者に抱かせたい。食、は、踊だったこともあるけれど、未練がましいのはよくない。静養しなさいの言葉に甘えて、さて、この住居(すみか)に、いかに快適な調理場を設えるか。上等の住処はもちろん快適なのだろうけれど、あるもの、でやってみたいのがわたしです。

 

調理の次は、本。

それも徐々に量より質になっているのは良き図書館が徒歩圏内に数カ所あるおかげ。かもしれない。ドーン!と積み上げて、満足しているようでしていない。それよりはサクッと頭の中でもカウントできる程度。

それから、やはり住処。

もっとこういうところ等々あっても、かなり交通網が整っているのを抜きにしても、今手にしているこの場所を快適にしてみたい。欲しがれば欲しがるほど、高みを目指せるのかもしれなくて。そういう欲望はすくなくともわたしは労働でそれなりに満たされている。ありがたいことです。恵まれた周囲でなければ出来ぬこと。

ならば私的な面では?となったら、与えられたカードでやってみたい。まあこの物件はこのわたしが選んだのですが。

ここにこういうふうに棚を置いて、ワークテーブルみたくして。そうしたらカウンター席メインの飲食店ぽくなるだろなーみたいな。

 

現状を維持しつつ、現状に満足しないこと。30という大台まで半年ほど。来年以降はこのような塩梅で。