平等におとずれるというところが特に死が最後の砦である理由で、だってこの世は不平等なのです。平等でありたくても、どうしたってならせない部分はある。出てきてしまう。たとえば同じような不登校者でも家庭訪問の有無があって、そしてそれは人生にだって影響してしまう。死ぬ最後の瞬間までが、人生。夢を見た。あまりにも死者と都合のよいおしゃべりをしたから?踏切のあのあたり、恨めしくてたまらないあの雰囲気がそのときのどうすればよいか持て余した感情を蘇らせる。黄泉が得られる。あるいはもうすこしわたしがオトナであれば、譲る気持ちがあればと、それは死者であるあちらと、そうではないけれども手元にないそちらと、それから、それから。死者は更新されないところが卑怯なのです。同じように時間を進めてくれない。ともにあれないことをどうしようもなく持て余すのです。