2019.08.16(fri)

キミにセゾクテキな物事は似合わない、話されている雰囲気等から察する限り、おそらく「社会的政治的なツイート」が似合わないということ。これは比喩です。綺麗なものや美しさにうっとりする。実際の生活よりもそれらを優先させる。ふわふわふわり。地に足がついていない。軽やかに。いつでも消えられるくらいに。わたしの成り立ち?背景?を知らないはずの方だからこそ的確に感じられた。夢売りを自称し続けた祖母のように。他方、団塊世代の、既にリタイアしているオジサマのように。おっさん、って、言いやすくて言いまくって、でも、オジサマ、だ。そしてわたしの身近な歳上のみなさま(そもそも歳下は皆無なのではという程度にはマザコンかつファザコンなのでしょうね)はオジサマ。誠実さとどうしようもなさ、長けているところと苦手なところ、優劣どちらも抱えてぐちゃぐちゃで、人間のそういうところ、すきよ。人間、に、わたしはわたしを含めているのかな。どうかしら。性的役割分担は、やっぱり、ある。性別、目に見える肉体も含めて男性/女性だからこそ、それぞれ得手不得手はあって、そこはなくせないのに、なくしちゃおってするのはフェミニズムでもなんでもない。"ゆとり教育"と変わらない。違いは認めません。やわらかく表現しているだけ。たいらにならす。平均。平等。人類保管計画はフィクションではありません。たぶんね。わからないをわからないままに、簡単なように思えるのにはてしなく難儀で厄介ね。