年齢とともに丸くなる、かど、がとれる。他方、三つ子の魂百まで的なこともある、という言葉がすこしの救いになる。きちんと、ぴったし、そのような言葉ではないけれど、殴ったことであるいは怒鳴ったことで操縦可能ならばと、これは、いま、実父のことです。わたしのこの記憶が正確かつ彼彼女が当時嘘をつかれていないとしたら、31と24、そこから30年で、もう半世紀以上生きていらっしゃることになる彼彼女の、そろそろ死のことを想う。別にいますぐに考えねばならぬ、ということではないモノのひとつゆえに保留箱に押し込めたり出してきたり、そのような距離は他のモノにもすこしずつ適用できている自覚がつよくなっている。距離。田舎の家はふた昔、二十年近く実際の時間と落差があるような、もういっそどこか、あるときある日から止まっているようにも感ぜられる。実父の本家で過ごした気持ちがインストールされました。されてしまった。そういうつもりで書き始めたのではないのに。ささやかな罵倒を投げはされるのに、みなさま、それでも本家の長男だからと丁重な扱いを受ける実父を下げない振る舞いでお酌をするのです。ねえこのわたしは何歳。しゃかりきに走り回る女性たちのお姿は、でも、自信をすこしくれるわね。強いのよ。父方も母方も、女性が強いの。辛抱も我慢も、お身体以外は強いわ。だいじょうぶ。そしてわたしが欲しているパパとママは彼彼女ではないと思い込む、思い込んでおくのです。距離。肝要なのは、距離です。明日はそろそろシスターとお話したいわね。