2019.04.24(wed)

シャワり終えて、薄暗いお風呂場で身体を拭いていて、ふと視線を上げたら白い猫がいてびっくりした。白い洗面器。眠たいナァと、ぼんやりしていたからか、お湯が熱すぎたか。「かもしれない」を了承したうえで、していないかもしれなくて、それでも賭ける大博打だ。子育て。同じ年齢の他者と触れあえる貴重な機会かもしれなくて、でも、そのように期待すればまたしんどいかも、どうしよう、不登校のままでも死にはしないしなんとかなるし、そういう実際の例が多い印象ですね。わたしの身近は。そこそこ自分で自分のことを決められるとはいえ、心配せずにはおれない気持ちはわからんでもない。閑話休題。なにかに絶望あるいは落胆するときは、期待していたからだ。その、なにかに。程度の問題ではない。どこかに、その対象へ賭けてみようとしたからこそ。いや、どうかな。信頼を寄せなければ裏切られたと思わずに済む?裏切りは「こと」ではない。裏切られたと思っているだけ。客観的な現実は存在し得ないってなんだっけ。見たいもの、そのものを見たいように見ている、見たくないものは存在しないものとする。都合のよい視点でなければ、しんどいだけ。色眼鏡をかけられるのは良いと思うのです。すべてを暴こうとするから、すべてがなんなのかもわからないのに明らかにしようとするからだ。