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誕生日といえば、お熱が出るたび、実母はすこしやさしくなって、だから小児科でもらうシロップ味こと、いろはすの炭酸のいちご味はそれ込みでも気に入っている。しかしあまり見かけなくなってきた。かなしみ。すこしやさしくなるけれど、たぶん、絵本を読み聞かせてもらったことが彼女はないのか看病に疲れてきたからか、わたしの産まれにまつわるほんとかどうかもわからない話を聞かせてくれた。24歳のとき、遊び盛りにわたしが出来たこと、中絶したら世間体が悪いし今後この身体が使いもんにならなくなったら困るし(実母も水商売のお方)酒飲みまくったらうまくいくんじゃないかとか、うまくいかなかったどころか熱ばかり出しよってとか、もしかしたらあの時も酔っていたのかもしれなくて、だんだん愚痴に近づくの。実父はもともと酒でおかしいから割り切っていたけれど、実母は日に日にお酒の量が増えて、わめいたり泣いたりも増えて、おかしくなっていく"サマ"を見るのは悲しかった。それもあんまり長い期間じゃなくて、だからわたしの母親と父親は世界で一等美しい、スナック喫茶のママ。ハイカラな、母方の祖母。ゴミ出しに行くにもお化粧をかかさない、入院するときも「ちんと(ちゃんと、という意味)揃えないとね」と、エゲレスの良い香りの石鹸とお化粧入れと"代々のイケメン"からもらったというハンケチとを揃えて「ご旅行ではないのですが……」と、主治医を困らせたけれど「これがわたしの祖母です」と、しっかり頑固さを受け継いだわたしはいくつかの訳詩集と絵本、栞代わりの写真、かわいいパジャマ、あったかくて美しい膝掛けをおすそ分けした。お祈りの本はどうするかと聞いたら諳んじれるからいらないと言われた記憶がある。ロザリオはいつも身につけていた、検査のたびに「外したくない!」とこれまた駄々をこねて主治医を困らせた。使い続けるか迷って、結局、祖母がお世話になっていたシスターのところに寄付をしてきた。わたしも最後までわたしを貫きたい。夢売りさんを貫いた祖母のように。世界で一等美しくて、だいすきな祖母のように生きて死にたい。譲りたくないものを譲らないのがプライドなら、わたしにもプライドはあるらしい。