よほどあちらでの諸々がこたえたんだ、気疲れしたんだと、言い訳をしてぐびーぐびぐびぐびー、のんきにワインを開けたり、あれのあれをそれしたり。こそあど言葉多用の、某氏構文はあれ的にも便利ですね。またすこし肩こりがひどい気がして(偏頭痛ではなさそうなあたまいたがある)、でも浴槽に浸かるのはやめた。裸でなんかなるのはやだな。災害において。最期ならばよさそう、最近油断しているけれどまた体型などをがんばって(ああ!やっぱり摂食をまともにするのはお酒をやめるより困難!!)、オフィーリアのごとく。願望です。実父か実母か、本家のどなたかか、また別の違う人か。見上げていて、わたしが、これは殴られる時、前、後、最中の夢ですね。そう。結局は終わるのです。なのに……そう思ってからふと力が抜けてよく眠れるのは気のせいですが。シンセンをももたらしたお薬は抜けきらない。懸命になろうがのんきにやろうが、終わるのです。死は平等。死は最後の砦。未消化の分もたんまりあるんでと、嫌味たっぷりにもぎとった連休で早めの大掃除。年末商戦も景気よくあってほしいので。台所を、主に。水回りを重視するのは祖母の教え。このアパートの古さだとやはり電気コンロは電気代がはねあがるそうで、かといってガスコンロ一択、よりも他になにかありそうですが、いまわたしができそうなことはガスコンロのガスを切らさないこと。カセットコンロ、か。できるできないはわからないがなんだかわたしにもやれそうなことから手をつけて、やれそうに至るためにこちらをお借りすればやれそうに至るとわかっていればお借りしたい。たとえばお脳。たとえば甘え。自身のお心がそぞろですと補給しきれなくて半端ですね。だからあんな夢を見たのだわ。今年も来年もその先も、ずーっと、わたしは美しいをひとりで見るのだと、あらためて思うとさみしくてたまらない。美しいも美味しいも伝えられないのですねえ、なんて孤独。ともにあるからといって、孤独でないことはないのに。はやく寿命のシェアをできてほしかった、わけたかったなあなどと、時々はたっぷりと死人とのおしゃべりにいそしむのもよしとします。わたしが、わたしに。