なにを発言しても「まあ頭のおかしいわたしが言ってることですからね」と、自虐なのか諦めなのか逃げなのか、どうしてもついてまわって、正確には思い浮かんだときで、発言するのはさらにわけのわからないことだったりする。定型発達から見たこちら側を、それでも前向きに表現してくれることはある。有名なのは、記憶力がある分野においてずば抜けているサヴァンだかなんだかをあらわした、小さな博士。"そこまで"でなくとも「これを気質のまま放置していては社会とやっえいけない。障害ととらえて策を練ろう。」という姿勢を問題と根気よく向き合う力を持っているだとか、それでも風邪を一度もひかないのと定期的に風邪をひくのでは前者がよい。よさそうにみえる。いらぬ経験ばかり増えている。なにもかもが義務に感ぜられる。あのドギツイお薬を飲んで以降、なんてこだわっているだけかもしれないが。なんだか身体的な不調が目立つ。ドギツイとはいえ若年性更年期の旨をお伝えしたからこその処方だし、なにかダメだとしたらお伝えしたのがわたしの言葉だったということ。なにもかもが自分のせいに思える。死にたいし殺してほしいしなにもかもがまたわからなくなる。はやく夜のお薬聞いてほしいな。蕁麻疹もやだな。やだやだって駄々こねてばっかりね。