見えないモノをこわがって見えないモノにあんしんする。たまたま影がそのように錯覚させただけだと、振り返って、落ち着いて、ああ錯覚ねと、思えるようにはなった。調子がすぐれないと、すぐこれだ。引き摺りすぎなんだよと、嫌悪を募らせるときもあれば、まるでまだそこにあんしんがいるような、おだやかなときもあって、あるいはわたしが、ふと、わたしであるのか疑わしくなって、服薬治療を好まない主治医の言うことをたまには聞いてみようかとカウンセリングを受けたらこれだ。やはり医者は信用ならぬ、治療はこのわたしがどうしたいかであって、舵は向こうにはない。指針を、いくつか提示されて、そこから選んで、選んだのなら何が起きても手前以外のせいにしてはならぬ。何事も。これをあまりにも厳しい考えと捉える向きもあるようですが、こうでもしないと脱力してしまうのです。