気にしないぞと、いくら気合いを込めても素通りできかねる嫉妬に、ときたま出会す。彼氏あるいは彼女などという、肉体の性別にとらわれた呼び名ではなく、もちろんたんなる呼び名でしかないけれどもお気持ちの問題としては重要なそこを、きちんとパートナーと言われる程度にはわたしとの関わりが深く、だからこそ、素通りできかねた。わたしがパートナーに困らないのを妬ましく感ずる、その意味?仕組み?、とかくそれらはわたしにとっての対価を無視されているように思えて、なんと無神経なんだろうと、心のなかで、心のなか、というのがわたしの卑怯さを綺麗にあらわしていますね。asdの診断をちょうだいする(この表現はせいいっぱいの皮肉です)以前より、わたしはわたし以外の多くのみなさまより劣っていて、だからこそわたし以外の多くのみなさまのお手伝いを必要とする、お手伝いを願わねば並にすら至れないと、そのように「理解」したからこそで、対価といいますのは、もちろん劣っていること、あらゆる劣りだ、並以下の、すべて。並なぞと、線引きをしてしまうわたしもわたし以外も、非常に無粋ではありますね。不恰好だとしても、しかし最後に立っていた者だけが、なのですよ。おそらくは。