出産を控えているからかしらと、身近な他者がこぼされたその一言から、でもわたしも最近のおんもはやな緊張感にあふれているわ、わたしたちの心に余裕ができてきた証拠かもねと、最後に着陸した場所は己を肯定できる場所で、そのようにいつだって前向きにとはいかないけれど、なるべく前進するために他者とありたい。あるいは加速してしまうわたしのブレーキとして、あるいはわたしを鼓舞するため、誤解をおそれない?あえて誤解をうむ?表現をしますと人間は道具なのですよ、人間もまた。そこから冷たい印象のみ切り取る方とはああ世界が違うのねと、しかし距離を、実際の距離をとるわけではなく、世界がわりあいに似通ったところだけを共有できるようになった。なってきているはず。なってきているとうれしい。それはよくいわれる加齢にともなう狭量さと相反するように感ぜられるから。わたしもまた人間にしか過ぎない、という感覚は、いまだに落ちてこないけれど、人間であるならば神様のようにすべてを受け入れられなくても仕方ないはずで、だからわたしがわたしを許せないことをそんなに罰しなくてもよいのかもしれませんね。