反芻系オタクなのでまたGWをBGM代わりに流して号泣しながらジ・ムーを片して、このスタイルは省エネではあるけれどこじらせやすくもあるかもしれぬ。お気に入りのシーンは、そらんじられるレベルに達しそうなほど繰り返すし、そういえば「生身の人間」なる表現にこだわるのは、ゼクスへのリスペクトからだった。最近は学(がく)として、きちんとフェミニズムをやりたいなあというお気持ちはあるけれど、手をつけ始めるキッカケらしきものが降りてこず、こういうときは無理にとりにゆくよりも、流れに身を任せるのが吉。まだまだ未熟な、すくない経験上はそうだから。わたしはわたしを救うためにも学び続けたいんですよね。それはわかりやすい、たとえばつらみからの脱出に限らず、手前の内の葛藤や外部から何かしらの刺激を受けたり内部で沸き起こる割り切れなさだったり、それらと上手にだとか仲良くだとかはできなくても、やられないようにしたい。でもやはり何よりも、闘わないために学びたいですね。文だから傷付けることは一切ないことはないけれど、それでも武よりは被害をおさえられそうな気配がするのです。