いちいち、わざわざ、騒ぎ立てないだけで、誰だってそれなりに何かしらしんどいのだろうから、わたしばかりぐずっていてはいけない、ちゃんとみんなと同じように我慢しなきゃなどと、どうしてもみんなと違うことが気になってしまう。長らくキーボードを叩いて、脳味噌からあふれそうな諸々を吐き出してきているが、これはたぶんわたしにとってはわたしを守る手段なのだと言ってみる。いちいち、わざわざ、つらさを言葉にするなんて、少々戒めのケが強い思考もある、もう大人の仕草に疲れたから、人間のかたちを保っていられないわと投げ出したい気持ちもある。誰かのお話を聞いて、相槌を打っても、その場からしばらくしてようやく飲み込めたりあのときこう聞けばよかったことが浮かんできたり、実母の言われたことは間違いではなかったのでしょう。非常な、のろまですね。どうしても気になり、そして生活にもすこしばかりの影を落としているモノに、摂食がうまくやれないのもある。それでも冬はこの冷えた身体をあたためる、湯に浸かる以外の手段としようと納得ができるからいい。体重が増えるにつれ、体力の余裕も増え、過食からの嘔吐もまた時々やってしまう。これはしかしわたしが認識を変えないとどうにもならなさそうで、いくら周囲が点滴に頼るよりはよいだとかそれは並くらいだよと言ってくださっても、せっかくのそれを飲み込めない。ここはこうでなければああでなければ、コントロールするのが実母から自身に変わっただけかもしれませんね。