2020.11.07(sat)

年齢を重ねたことでそれを感じたくないときに、ひとりぼっちの気持ちにおちいることは減ってきて、でもやっぱり家庭の話に頓珍漢な返答をしているときがありそうで、これが解消したらあちらがと、いつまでもキリがない。わたしにとって両親は悪くいうものではなく、敬語を崩してよい対象ではなく、ご機嫌を損ねることがあってはならず、などと書けばずいぶん窮屈そうなのにそこまで不自由な気分にならないのは、きちんと記憶が薄れているせいだろうか。実父はあのふた昔前くらいで時間が止まったような価値観の、本家の長男だから何をしても咎められない生活を送ってきたから、もうそれは現代の感覚でこちらが接してあげてはかわいそうだよねという姿勢でいた気がする。最近は思い出しても引きずられない。夢は一方的に引きずるような箇所を、実際にあったことかもわからぬ諸々を見せるから嫌いだ。記憶は、夢よりはずっとわたしの支配に置きやすい。実母のことはよくわからないというか怖いというか、どういう印象ですかなどという問いにしっくりきそうな言葉でしか表せない。わたしはたぶん彼女のことをほとんど何も知らずにいて、これからも知らないままでいる気がする。誰かが喋る家庭というか子育てというか、そんな話題の時に時々思い出されるのは熱を出したわたしを看病する実母で、この記憶が確かならそれは看病かはわからないが、ずっとわたしの枕元で話すのだ。いかに遊びたい時期に妊婦として過ごしたか、お前はほんとに身体が弱いしノロマだしなどと悪くいうのに止めを刺せなかったのだから、死にたいのに死にきれなかったわたしと実は似ているのかもしれない。でもたぶんそんな看病は一回か、多くて数回で、それをしつこくしつこく噛み締めているだけだ。よい看病のことを思い出しましょう。自称夢売りの祖母が必ず卵酒をこしらえてくれて、それはもう全快に近い知らせでもある。そういえば昔から熱が出ると食欲が消滅して、上等のバニラアイスクリームと果汁100パーセントのりんごジュースと、あとはポカリスエットと、これはいまでもわたしのお熱セット。食欲が出てくるとプリンを買ってもらえるときもあった。そういえばここ最近はアイスクリームを食べすぎなので我慢したが、どうしても窯出しプリンパフェの誘惑に勝てず、しかもそれをいまから夕食にする大罪をおかそうとしたのに、まだ胃の調子がすぐれない。頭痛が治まりつつあるから、この吐き気をともなう頭痛がもうすこし落ち着いてほしい。悪くもなにも未だ身体がままなりませんね。