仕事絡みの、とても重要な集まりだったんだと伝えても納得してもらえないと、どうしても女性は感情の生き物などという偏見がよぎる。肉体も、おそらくは精神のいくらかもわたしだって女性なのだからそれはアンフェア、不公平な言い分なのですが、額面通りに受け取ってくれと伝えてなお感情にふりまわされるさまは実母を思い出させる。だからパートナーのことも嫌になってしまう、と、言いたいのではなく、感情に振り回されることなくは不可能でも、振り回される回数を減らすにはなにが重要なのだろうと、目前の人間に向き合っているようで向き合っていないわたしは不誠実だ。勉強をすればするほどあきらかな変化が、目に見えるたとえば点数が上がって、そのゲーム性とでもいうような側面がすきなはずなのですが、感情に支配されたかに思える実母からなるべく、すこしでも、遠ざかりたくて、わたしの勉強好きにそのような一面があるのは確かだろう。なぜ、人間だけが感情を持つのか。という問いには首をかしげたくなる。人間だけに共有できる感情と、そうではない感情とがあるだけで、感情そのものはすべからく存在するのではないか。このような"めぐらせ"はしんどさとともに、好奇心が満ちる心地よさと、安らぎに近しい感覚をもたらしてくれるのでなかなかとめられませんね。やめられませんね。もしかするともっとも依存性の高いモノかもしれませんね。

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追記

このようなことを、グダグダ述べたとから嫌悪をすぐさま抱くわけではない、というのはわたしの気持ちをおさめるためにも言っておかねばならぬ。これらも結局は感情に任せた殴り書きなのですねえ。