2018.6.21(thu)

ラディゲに憧れ、「20でおしまいにしよう」と言った人間は、大切にしていた人間が死んでも死んでも生き続け、今年で満29。

ここまできたら「長生きし過ぎた」だのなんだの、いつまでうじうじしてんだよ!!!と、自身への苛立ちが募る。自身以外へ、は、未だに伝え方?表し方?がわからなくて自傷行為に至ってしまう。実父のアレコレで刺青は様々が寛容になりつつある日本でも受け入れがたいのは実感できているつもりで。そのうえで、人間だいすき!な気質も考慮して(自身を大切にするのはまだまだ困難を極めるが他者が気持ちを込めたモノは大切にできるという意味合いで)、ここしばらくスタジオを探していた。上から目線の、偉そうな物言いではあるけれど接客業と似ていて「共感できるからこそ任せよう」を基準に、ここだ!というスタジオへ打ち合わせに。打ち合わせ、というより、雑談のようなものが多かった気がするけれど久々に「こんなに精神的にしんどかったよー」話を、湿っぽい雰囲気ではなく、わたしとしてはたのしく話せただけでもうれしくて。なによりうれしい、というより、申し訳ないようなありがたすぎるような、お代はなし、の言葉が響いた。情けないのとか恥ずかしいのとか気にしないで言えば、たとえば最近、人間に近づきつつある某氏と過ごしているときみたいに、ぐちゃぐちゃに泣いて、ぎゅーってしてもらって、し返して。それくらいうれしくて安心して。ああ、長生きするのも悪くないな。長生きしているのを後悔する回数を減らそう。改めて、気持ちの切り替えもできましたとさ。

 

それはそれとして。

アラフォーとアラサーが仮眠のみで営業のち棚卸しはいろんな意味で死ぬことが判明しております。