2018.6.16(sat)

月命日の明日が慌ただしいため、今月は1日早い、今日に、かわいこちゃんが必ず欲しがった唐揚げとほろ酔いの桃味をいただいている。何回目かの、夜ご飯か昼ご飯か、スーパーへ行ったとき、わたしから見て遠慮がちなのが続いていたので「なんでもすきなの選んだらいいんよ。」と、今よりずっと経済的にも余裕もあって声をかけた。確か、お酒の冷蔵コーナーの前だったと思う。「もうね、(かわいこちゃんの名前)は、みんなにちやほやされるのが嬉しいしたくさんお金もくれるし、(かわいこちゃんの名前)がすきなものなに?って聞かれても困るの。ごめんね、(わたしの名前)ちゃん。どしたら、かわいく見えるかな思ってもらえるかな?で選んじゃうの。」と、むしろわたしが申し訳なくなって、それからは唐揚げとほろ酔い桃味か梅酒がお決まりになった。ごめんね、と言った表情は年々ぼやけていくけれど、でも雰囲気はかなり鮮明に残っていて、こういう生き方しかできない申し訳なさと、文字通りに身を削っていく覚悟のある、かわいらしい見目に反する強さがあった。と思う。多分。

何故だか自死を選ぶ人間が周りに多く、ただ、共通していそうなのが必ずしも本意だったとはいえないのが心苦しい。だからといって、所詮は他者であるわたしに、しかも地獄にいるわたしに、なにも出来なかった。ただ、つらさをやわらげるとか誤魔化すとか、騙し騙し生きている日を伸ばすことはできて、それも本人たちにとってよかったかもわからない。それでもわたしは人間がすきだよ。法を犯しても、犯したこと事態は罰されるべきでも、だから嫌いになりました、はない。良いも悪いも、なにもかもの集まりが人間じゃないかしら。