2018.7.18(wed)

一年経過。あの人には殺されたくも二度と祝われたくもないから、この時期に退勤後そのままひとり暮らしを復活させた。「あのあたりは俺が育ったとこやから」と、急にひとりになったら不安定になるんじゃね?と、直属上司のイケメンヘラがお散歩しながら瓶ビールあおりながら荷物を持ってもらいながら。「いのちの電話ってさあ、繋がんなくて。余計落ちるから。かけといでな。」「明日も出勤なので今すぐ死ぬわけにはいかないですよ。」と見送った。はず。

どのタイミングでシャワーを浴びても、酒も煙草も飲みたいときに飲んでも、しんどくて今日の休みはダラけようと決めても、文句を言われないことに違和を感じなくなるまではわりと大丈夫かな?おこられないかな?考えなくていい人のことの存在は、今でも寝起きの曖昧な状態だと復活するけれど回数は減った。

誰かに頼ること。やっぱり、うまくいかない。我慢できるから我慢してるなら、我慢させたくない。いつか言われた「本家長男の唯一の子供のくせに跡取りにもなれない子供を産めない。だったら弱っちい女になるな。」みたいな、呪いのような言葉が時々ふよふよと舞う。ただ、頼ることを分散させなくて、ドン!と爆発するのはもっとダメな気がする。どうしてひとりでがんばれないのか。

 

やっぱりわたしは傷付ける側だった。たくさんの人間を見てきた方の言葉、たとえばオーナーちゃんも含め、積み上げてきた経験による感覚ほど確かなものはない。と思っている。今まで自死を選んだたいせつな人たちは、わたしに傷付けられたから、かもしれない。すべての理由を自身に求めるのは奢りだとしても。亡くなった傷付いた、ではなく、傷付けた亡くなった傷付けたことの自覚を持てず傷付けられたイコール被害者ヅラして、なんて最低なんだろ。つらさは、やはり、罰なんだ。

 

 

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祖母の最期のお家の片付けを任せてしまっている、付き合いの長いおいちゃんから嬉しきお届けもの。漁へ出られない冬へ向けてだったり京都他、関西へ卸すためだったり、海のものを加工させたら右に出るものはいないくらい、すべてが美味しい。みりんによる甘みも、鱈にゴマをアクセントにするのもすばらしい。アオサノリは万能で、お出汁に浮かべ戻してそのままおすまし、お味噌汁でも具のひとつとしてバツグン。熱々の白飯と混ぜて半摘み塩を振っておにぎり。鮭と合わせてパスタの具エトセトラエトセトラ。この時期ならウリ科の塩もみと混ぜて小鉢なんかも酒に合う。もちろん、鯖は最高に美味しいが、加工ものは「ハンパ」が出やすいため祖母とわたしの周りは味は確かだから生魚も加工モノもどちらも大好き。とろろ昆布とヒジキなどを混ぜたふりかけ、タコワサもおススメ。8番ラーメンという、石川か富山かがもしかしたら発祥かもしれないざるラーメンも美味しい。北海道にも冷たいラーメンがあるし、海沿いはラーメンを冷やで食べるのか?

美味しきものたちと、写真も送られてきた。この洗濯竿、手が届かなくてアレ(一升瓶6本入るやつ)を踏み台にしたんだよなーこの綺麗なお花を髪結いさんとこへ持って行って髪飾りにしてもらったなあ。一枚、わたしが写っている写真があってたくさんのことを思い出している。マッチがうまくスレなくて、もういいよ煙草買っといでこの方の銘柄はコレ、あの方は……お客様の銘柄を覚えてタバコ屋さんで銘柄とパッケージを一致させて覚えて、ママ(祖母)が髪結いへ行くとき、わたしはお針子さんにワンピースを仕立ててもらい、髪結いしてもらう時のリボンを選んだり(三つ編みにリボンを編み込むのがわたしの定番)。

土地柄も手伝って赤旗が気軽に配られ、ライターより屋号や店ならではのデザインがされたマッチがハイカラな証で、メビウスがまだマイルドセブンだった頃。もし、わたしが自分のお店を持てる機会が巡ってきたら。終わらない昭和を毎夜毎夜繰り返したい。