218.7.4(wed)

死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいと思いながら眠ったら、自殺を試みては未遂に終わり病院に放り込まれる、を、映画3、4本くらいの長さと濃密さで見させられた。夢。夢は、だいたい似たようなものが日替わりや1回の睡眠中に交替か。祖母が亡くなってからレギュラー入りした、看護師のトレーニングのひとつとしてトレーニーであるわたしが、これを抜いたら死ぬ、とわかっている針を外し、うまく外せたらバインダーを持ったトレーナーが何かしらのチェックを入れたのち、次の寝台へ向かうよう促す。人間は人間を救うことも、その命を止めることもできる。閑話休題。睡眠時間は変わらず、いつも通り。今日は4.5h。やや長めなせいなのか、怠さと頭痛。昨日、睡眠日誌を精神科の先生に提出した。人それぞれ適した睡眠時間はあるが、あまりにも短い。夢を見ない薬はないが、これでも夢見が悪くならない組み合わせにしている。それでもダメかという具合で、また剤が増えた。あんなに調子良く過ごせていたのに。自身への苛立ちが募る。相変わらず負の感情を発散する術がわからず、過食。それも吸収。また太る。こわい。喜怒哀楽、感じたことを言葉や動作で伝えるのは未だ困難だ。特に、怒りや苛立ち。わたしも人間なので、イラッとしたり怒りたくなったりもするが、その時間があればすきなもの美しいものを愛でたいし、伝え方あるいは表現がわからないうえに「相手を怒らせたくない」気持ちが強く、たとえばメンドーな客の相手をした日、閉店作業中、ゴミ箱を蹴飛ばしたら後片付けが増えて迷惑だ、もしかしたら店のどこかを壊すかもしれない。を理由に、洗っていたアイスピックを太ももに刺した。ずぅーっと昔の話。物理的な痛みに慣れていそうな方に話した時「うわぁ……。」と、ややヒキ気味だったので、やはり痛覚はバカになっているなあ。

精神的にもグズグズ、身体面も調子がイマイチ。内科の先生に「やはり当時の見立てで「他の同年代より衰えが早い」からでしょうか」と聞いたら「当時の具合を僕は見ていないけれど、」まあ、そりゃあそうだ。「ただ、打ち所が悪ければ即半身麻痺/不随だった、ことから推測するに、多少なりとも、5年、いや、10年は上乗せして自愛に努めましょう」とのこと。なんだ、じゃあ、アラフォーだと思えば確かにこの物忘れも納得できる。いや、どうだろ?長年の飲酒か、喫煙か、服薬か。この3つは並べた順に歴が長くて、このどれもが原因なのか、あるいは脳味噌のバグ的な障害が由来なのか。原因を探ったところで何になる。高台の、同い年のアパートは暴風ごときで地震のように揺れる。上司に連れられて行った祇園の喫茶店のご主人から達筆な、すっかり恒例となった季節の挨拶が届いた。唯一、酒屋さん以外で未だ年賀状のやりとりがある方。そうか、芸舞妓さんの団扇の時期だ。新しいもんも取り入れんと生き残れませんゆえ、と、インスタグラムを始められたそうで、というか、知らぬうちにフォローされていて、午前中にお電話した際、長らく気付かず、しかし、雰囲気等々からご主人かと思っていました。姉さんも待っとりますんで、またおひとりでもいらしてください。ああ、そういえば某所のお方のお加減はいかがですか?それが、芳しくないんですわ。こちらも顔見せたってください。暑さに弱いので、秋頃には。ええ、ええ、こちらも変わらず暑いですから、環境も変わりましたしご自愛ください。ありがとうございます。ご主人と、それから姉さんも。同じく。こうして人と人の繋がりがあるのは幸福で喜ばしいはずなのに、時々、申し訳ないことに、死ねない理由が増えた、と思う時がある。なんと罰当たり。