2018.5.10(thu)

オーナーの誕生祝いの、老人たちによる若者呑み(ラッパ飲み一気飲み等)のおかげで、日中にDVの人とわたしの、共通の友人だった人からのお話による落ち込みを吹っ飛ばせて、今日は昼間に荒れた店内の、外注の見積もりをしに行って「どうせ天気も悪いしこないだの今日だし暇だろ」で帰宅。せめて肉体だけでもと、レバニラをつくりました。通勤電車に乗ったり8時間ちゃんとじっとして事務作業したり、会社員みたいなことは難しいだなあとなって、そういう話をした子とも「夜の仕事が向いてるならそれでいいしのんびりできること、しよ。」に着地した。

人間を信じて、めちゃめちゃになって、でも、疑って失くすよりはずっといい。それはきっと祖母が教えてくれたことだから、もしかしたらまためちゃめちゃなことになっても、やっぱりわたしは人間がすきだし信じるよ。『火垂るの墓』の批評のひとつに"短期的に不幸にはならなくても、長期的に幸せにもなれない行動ばかり"という言葉があって、最近のお気に入りなのですが、長ーーーい目で先を見るとつらくなるから、今が今日がせめて死なずに終えられたら良い。




↑を書いた後に某氏と話して。ああ、もう、ほんとに、自分のために時間を使っていいんだなとなった。会計の時、小銭をスムーズに出せなくて怒られることもなく。スーパーでの買い物の時、うまく袋詰めができなくて怒られることもない。買い物メモを用意しても買い忘れて、車から蹴飛ばされて身体のどこかしらを打つこともなくて。しんどい日はダラッと、煙草を飲んでもいいし。がんばったご褒美!って、寝落ちするまで飲酒しても怒鳴られなくて。これがやりたい!と思ったら、資金さえあったら出来るし(たとえば今夏に開講される利き醤油の講座など)、わたしは多分、誰かと生活するのが苦手なのかもしれない。相手がよくなかっただけかもしれなくて、でも、それを言い出したら実父母もあてはまっちゃう。

なんとなく散歩したい気分だったから、散歩したくてもできない現況でもないから、ふら〜っと川沿いを歩いて、コンビニでビールを買いました。ただいま。