人生もこの命も有限だから人間であるのはかりそめではなく、もっとずっとしっかりと、かりそめを味わっていたい。わたしが労働でこそ生き生きとしていられるのは、これなんじゃないかしら。この場限りの、このシフト限りの、この職限りの、…………一生懸命言い訳を考えるみたいに、必死になるのはなんでかな。こわいのかな。孤独ではないと勘違いしたあとの孤独よりも、せめて再確認程度、ああ、ほら、やっぱり孤独だったというのはマシだ。救いがある。期待すればするほど寿命を奪っているなんてそんなたいそうな存在じゃないのにね。部品ではないとある意味おめでたく勘違いしているから必死になるんでしょ。いつだって交代も交換も可能です。してほしいのも期間限定。これも、あれも、それも、永遠とか絶対とか、かわいらしい、夢に近い嘘は苦手。そんなのどうせ大人たちが都合よく見せてくる虚構ですもの。大人のくせにね、場合によっては。わたしも。なんだかずっと大人に騙されている気分。わたしでありたくないのに。褒められたいだけなのにな、が、ほんとは、褒められたいだけじゃなかったのかもしれませんね。生きるって決めたら卒業して、死にたいって願えば置いていかれて、大人も神様もみんな意地悪。みんなってだあれ。