ふとしたときに虚しさがやってくる手前の吉兆や成功よりも他者のそれらを聞いたり見たりしたときに空っぽな感覚が薄れてどうしたって他者を通してしかわたしを見られない。良し悪しのお話ではありません。他にわたしを見る方法はありそうで、他にありそうな方法がもし風通しのよい的な健康さを持っているならそちらを知りたいし覚えたいし、これは、でも、余裕ができたら考えること一覧へ置いておくのよ。他者の悲しみや苦しみはわたしの死にたさより、すくなくとも振り返ったときは強い。強い悲しみとか強い苦しみとか、わたしが刺されるよりつらい。いらんおせっかいともいえる。重みをかけていることになるなら身を引くのも厭わない。提供側の、カウンターから人々の営みを眺めていると、もっと人々は自分本意に思えてくるしわたしのこのまとまらない考えも自分本意。こだわりなのでしょうね。確かなのは人々の営みは美しい。感情があちらへこちらへ、飛び交っているのを眺めて、美しいと感じられるのは才能だと勘違いしつつこの先もサービス提供者でいたいですね。