前回、が、いつだったか。思い出せないほどなのに、それでも、この味だと思える、確信できる味へ持っていける。久々におからを扱った。色味を考えれば人参が必要不可欠ですが、おからと長ネギの、シンプルあるいはさみしい具合に。かぶらの葉は茹でて、ひとまず。色止めに塩を、というのはすっかり手癖で、でもきっとこれもスパゲティを茹でる際の塩をと似ていて、なにか、こう、分解できるのでしょうね。分解できるのだろうことは知っているはずで、それよりも、我々は、やはり、この手が動くままに。簡単な調理などと、求人に書かれているのも含めましたら、わたしは、サービス提供と同じだけ調理の人間でもあるのです。とはいえ調理補助未満。それでもこの舌が、おそらくはまともに働いているうちはこの手に従うだけ。受け継ぎにくい職種だといわれやすいのは、たぶん、ここ。各々、結局、各々しか信じないのです。