2019.12.23(mon)

調子がよいときの思考がずっと続けばいいのにな、これでも回数が増えて回数も一回あたりの時間も、それでもまだまだって、欲望に際限はないのですね。未知とか理解不能とか、そういうモノに対して気持ち悪さを抱くのはたぶん正常に防衛機能が働いているのでしょうし、未知とか理解不能とか以外であらわせなかったモノに名前がついたことで安心したい気持ちもわかる。わかる、というのは、あまり正確ではないが。どうしようもない方たちですしとうてい味方になってはくれなさそうですし、年齢を重ねて丸くなる期待も薄れてきているのに、それでもママとパパがほしい。女子会的な場での諸々とともに言葉にしたら、文字だけではなく、声にしたら、自分自身でも想像していた色とはちょっと違うようで、そしてたぶんわたしがほしいのはママとパパっていう名前がついている何かで、彼彼女ではないかもしれない。たくさん仮説をたてればよい、わけではない。わたしはやはり他者、血縁者以外の他者に恵まれているのでしょうね。知りたいと白痴になりたいをゆらゆらしながら、知れたときの快感はでもやっぱり心地よい。読みたい本も、本やモニタ越しでなく見たい絵も景色も、行きたい場所も、たくさんあるのに、なんだかふいに、ね。すんっ。冷える、に近いのかしら。ちっとも安定が手に入りませんね。内的な、自身の精神の成長という意味合いの安定。