2019.12.19(thu)

調子がよければこのような姿勢になれる回数を重ねて、あるいは増やして、よろしくないモノをすこしずつ減らすのとそれはたぶん逆方向。べくとる。なんとか手前だけでやりたいやれるようになりたい、目的地は一緒のはずで、下道でゆくか、高速に乗るか、いや違うな。こうして脳内の諸々を言葉に翻訳する作業がなにかの役に立つとは思わなくて、もうどうしようもなく脳味噌がやかましくてぎゅーってつっかえて、胃袋から吐き出すのと似ている。言葉なんていらずに伝わるのはいまのところ不可能だろうし言葉を尽くさなくても伝わるだろうと思うのはなんだか怠惰の色だ。慢心かしら。まったりとした甘みと誰かのレビューにはある、実際にこのわたしの舌に確かめさせる、まとわりつく、ねばこい、甘み以上、あまり心地のよい甘みではない、それは後ろ向きな表現だ、うーん、すっきりさはすくなめ?英語のレビューでカンマ区切りの、スウィーティー、フレッシュ等々、これを翻訳すると「み」が常連さんなのかもしれない。果実み、新鮮み。新鮮さってあまり使わないわね、どしてかな。この場合の翻訳はわたしの脳味噌からいまこうして日本語へ翻訳している色とは近いけれども同じではない。正確に忠実になんとかこの感覚を共有しやすいかたちにしたい。いま振り返っても、積極的にというよりはふわっと振り返りがきても、こわい、がすっと口から出たのは安心した。わたしの感情は死んでいない、死んだかもしれないがいまは生きている。こまけーことはいいんだよ、そう、細かいことはよい。こわい、という言葉をあてられて安心した。それだけ。オプションが多すぎるのだ、あちらもこちらも、大仰にいえばなにもかも。