2020.01.02(thu)

手前より他者が、とかではなく、人間を好きであることを呪え。特別に命令されたというよりもわたしを渦中、渦のど真ん中でメクラになっていたであろうわたしを、外側から眺めてそうしてコンパクトな言葉におさめただけ。そういう、たんなる感じのある言葉。内側からも外側からも裏切られてもしがみついてしまう。内的な、自身からの裏切りも、外的な、他者や環境やその他諸々から。しかし裏切りなんてのは幻です。あるいは、代償。期待したモノが叶わなかった敵わなかったその気持ちが裏切「られた」。被害者剥き出しの言葉が躊躇なく選ばれてそしてキーボードを打つ指へ伝わって、いや、その前に日本語への翻訳かしら。わたし以外にも伝わりやすそうな言葉。永遠の思春期なのです。問い続けたい、問い続ける姿勢を尊んでしまう。なんにもわからないのにこれは手放してはならぬと訴えてきたモノのひとつ、ハイデガー。この世にある本はすべて、もれなく、答えが出たあとの何か、解答編だと思っていた節があったのもありますが、問い続ける姿勢を後世に長く残っている人間でも晒け出すのかと、答えが出ることはすべてではないと、時々嫌になるくらいわたしの記憶力は優秀だ。感情まで過去そのものになる。現在がわからなくなる。この一年が終わる残念無念さよりも新年が来るのだと、なぜだかワクワクした高まりに、ついてきてくれないわたしがとっても嫌いだ。でもきっと人間が好きでいてしまうから好きでいてしまうのは期待すること手放さないこと、どうしてもしがみついているんですね。逐一、この本を読まれたら、このゲームをどう見られるんだろうとか、死人の感性を知りたくなる。なによりも対人におけるこだわりの強さをぶつけてしまったあの方に褒めてほしい。なにがしたい、より、なにをしてほしいか。口では偉そうに、それこそ城も建てられるけれど、わたしは与えられるのを待ってばかりなのですね。