2020.02.04(tue)

吐き出すのが追っつかないほどの速度で、みんなたちの言葉かどうか点検する間もなく、次から次へとあふれる言葉がとまらなくてとめられなくて、そのようなときにインタネッがあってよかったと同時に他になすすべを持ちたいとかまあでもヒステリックに文字通り実際にわめくよりマシだとか、大人になるってコトのひとつに「マシだろうモノを選ぶ」というのはあるとおもう。思う、を、漢字で書きたくない期。そういうとき、ある。マシだろうモノ、たとえば美味しいからといって脂身の多い鰤トロは胃もたれを起こすからマシだろうと感ぜられる別な部位へ置き換えるだとか、そもそもお魚そのものを鰤ではない何かに変えるとか。マシだろうモノを選べるほどに選択肢が増えつつある証拠でもあって、でもわたしは、わたしの知りたい欲は全然まだまだ満たされていない。もっともっともっともおっと知りたい。知らないコトより知っているコトが上回るほどに、知らないを知っているへ進化させたい。変容?転換?それこそ辞書を文字通り丸飲みできるならしてみたい。四次元ポケットから繰り出される暗記パンのごとく。新型のお風邪が話題ですね。未知に対する反応としてはきっとおそらく正しい、怖がることは正しいはずで、しかし既知である他のモノ、インフルエンザであるとか食中毒であるとかノロウイルスであるとか、温度差がはげしく、しかも暖かさが食材の腐敗をまねく気配が高くて、職業柄、どうしてもそのようなウイルス等への恐怖が強くなりますね。理科の知識としてではなく、経験よりふわっとした、勘のようなそれらでもって調理や調理にまつわる諸々に危機感を抱いている。後追いでお勉強をしても追っつかなさよりもそこから派生した、些末(瑣末?)かもしれぬ雑学のようなたぐいへの興味をも刺激されてなかなかどうして本筋だけをたどれませんね。猫がおさまれば事足りるような空白をパートナーで埋めてしまうようなどうしようもなさがある、実父母を恋しく感じるとき、実は彼彼女ではなくイメージとしての両親が与えてくれるであろう、天秤が極端にどちらかに傾くことのないような注意抜きのやりとりを求めているだけなのです、ああだからわたしは猫よりも犬を飼うのがよいのですね。与えられる保証もなければ与えられるまでの時間も惜しい、ならば手に入れるのです。ほしがりません勝ち取ります。