周囲から見てどうであろうと、わたしが重いと感じれば太った証拠であるように、精神的な面でもそのような、左右されないされにくい軸があれば安定や、あるいは軸を持つことが防衛になるかもしれないと、余裕のあるとき限定で、さてどうであったかと、起きてから横たわるまで、めちゃめちゃな時間で生活しているために曜日感覚もズレるのでしょうが、それはまだ保留で。一度にあれもこれも達成できるのは器用で、かっこよいと思うがわたしにはむつかしく、もしかしたら合わない方法かもしれぬから。春夏が身体をスタートにした不調なら、秋はまず精神がやられて、この治安で服薬もごはんもサボらず、シャワーで済ませてもよいところを、えい、と湯をはってぽちゃんして、ぽやんとしている時間もわるくない。お酒に頼らないと食欲がわかず、酔って気絶したそれを睡眠としていた頃に比べればたぶんマシにはなっている。マシよね、マシだから大丈夫って言い聞かせる。ほんとうにあった現実かもわからぬ実母の夢を見た。前回の夢がすこしよかったばかりに落ち込む。つらいからといって誰かの人生をめちゃくちゃにしてよいわけではないと教えてくれたところは彼女のよいところ。だからぜんぶがよいわけではなく、どこか不満や合わなさを感じたらその人ぜんぶが嫌になるわけではないように、そのよいところと実母とを、うまく切り離して、それはそれ。これはこれ。よそはよそ。わたしはわたし。まだこうして念仏のようにとなえねば、揺らぎますね。