2020.08.03(mon)

お前は精神の病気だと医者が判断を下してからの時間が、下される以前の時間を上回ってから数年が経って、ルイトモは確かにあるのだろうと言い切りたくなる程度にはわたし自身の落ち着きとともに周囲から卒業される方も減って、あるいは落ち着く年齢に周囲もなっているということかもしれない。もうこの人生はこれでよいのですと、自ら区切って卒業していった彼彼女らのぶんまで生きようなぞとおこがましい気持ちになることも減ってきた。わたしは、わたしのために、わたしの人生を。しかしまだこのように言い聞かせないと死の誘惑は濃厚ですね。死の、なのか、未知に対するそれなのか。生よりも良いモノ善いコトのように感じられる。こちらは苦もなく快適ですよなんてそこまで能天気な妄想はしないが、それでも今この現実に依っている、依っているだろう諸々から卒業できるのだろうなと思えてしまう。どの季節にも死人との記憶がまとわりついていて、それは不快ではないどころか心地よくもあり、しかし今この時間を共にしている側の他者への申し訳なさ、きちんと向き合えていない不誠実さも同時に起こるのです。いま、どこに、いる?時々、少なくともこの場で最もわたしの特異と表される思考に寄り添ってくださる他者からの問いに、時々即座に返答しかねる。ほんとうにいまこのじかんにわたしはいるの?ああ、そうですね。お天気のせいにしておきましょう。急激に暑くなったから、一方夜はまるで初秋のようだから。初秋は、この数年あまり好ましい匂いではなくなってしまった。