ふとした、その瞬間に、いつまでもとらわれないこと。ハイテンションが高まってしばらく処方されていなかった剤を入れて、ようやく並、のスタート地点。並に手がかかった状態。ここからまた次の並と並でない境目とを超えないように、バランスを、平均台の上をゆらゆらと、なんとかやれるといい。曖昧にしなければやれない時間を、わたしだって減らしたいのです。せっかくの、低くはないそもそもの能力をと、今回はめずらしく褒めが、悔しさではなく褒めが原動力ですね。主に。愛嬌だけで生きてゆくのは困難であるというのはこのギョーカイの罹患率を見たりなんだり、わかっていたはずなのに。ダメですね。でも、これは、とてもよい機会。改めるのです、締めなおすのです、耳障りのよい言葉ばかりは嫌いですもの。それってなんだか胡散臭いでしょう。良いも悪いもあるはずなのに、どちらかしか見えないだなんて。ギョーカイといえばやはりストレートがすくなく見えるのは、オープンにしやすい空気が濃ゆいからかしらね。わたしに限れば二倍の楽しみがあると捉えられて、しかしそれもようやくここ最近のことなのです。毎日が新たなわたしとのご対面。毎日がお勉強。さまざまなわたしも、さまざまなセケンサマも、逸脱しようがなにしようがきちんと愛したいですね。愛情のイメージはマリアさま。賢さのイメージは高山宏。美しさかわいらしさのイメージは祖母。だいじなモノはあまり変わらない。