はるか昔、あるいは、原始の頃、人間がいまよりもっとずっと動物に近かった頃の記憶によって、燃え上がる炎を見ると落ち着くんだよと言ったのは誰だったか。ふつふつと煮立ってゆく鍋、蒸し焼きから余熱で火が、食材に火が通ってゆくさまは、なぜだかぺしゃんこにならずに心がならされてゆく。台所は、安心。安寧の地。それはもしかするとカウンターの隅でうずくまって過ごした夜の記憶のせいかもしれないし、あるいはカウンターのこちら側の者として眺めるのを快楽と感ずる気質のせいかもしれないし、世界は言葉で記述できるが、世界のすべてを記述することは不可能だ。言葉を科学に置き換えても、たぶんよいです。低気圧のときは気分が落ち込むなど。いついつまでもわたしがわたしではないような、わかりやすく、かつ、少々大仰にあらわしますと俯瞰視点の生き方であったとしても、このわたしはどうしようもなく現実に接続されていますから、なんとか現実のお作法をこなさねばならないのです。ミル付きの胡椒はもちろんお値段がはるのですが、調理中のわたしのお気持ちが上がることを考えますと、常からこれを使うのがよいですね。些細なことでも、ご機嫌をとってゆくのです。わたしの操縦士はわたしなのですから。