どうしてもわたしはわたしを許せないようで、しかし以前よりずっと手前に対する甘さが強くなった。それはもしかするとよいことの場合もあるかもしれないけれど。罰する行為、自傷行為をやりきれなかった、やりきらなかった、というべきか、完遂しなかったというかやめようとしたのは成長といえるのかしら。わたしがもっとも恐れるのは、わたし自身の気持ちが途切れることで、このように主語に頻繁に登場することからも、まだ視野は狭いですね。自閉的ではあるのでしょう。わたしは、もしかすると、わたしにしか興味がないという、じつはとてつもなく自己中心的な人気かもしれません。ジコチューなどという言葉が侮蔑にもちいられなくなったように感じられる程度にはしかし世間も個を尊重しているようですね。孤独であるのはちっとも悲嘆すべきではない。よろこばしいのです。