もっとなりふり構わず同情を誘って、逐一偽善かどうかを気にせず、そんな人間にはなりたくないな、実父母を反面教師にしてきたはずなのに、仕事を優先するような嫌なオトナにまた近付いた。見た目の年数は重なってゆくのに、ちっとも成長できていない、あるいはまた同じ間違いだったかもしれない。わたしだって子供仕草をもっと続けたかったけれど、続けたい意思を貫こうとしなかったのもまたわたしだ。誰が強いたわけでもない。かといって、わたしが選択したわけではないかもしれないが、どうしても責めていないと気が済まない。責める以外の方法が、なかなか見つかりませんね。ビジネスパートナーとしてはおそらく初めて会いたいと思ったのです、アフターコロナなんて言葉がちらほら飛び交うこの今現在を、今現在でもやはり変わらない姿勢で提供者を続けられたのか。わたしの想像が及ばないアイディアを聞きたいし、どれを提供者として、提供者ではないわたしとして優先したらよいの。死者のもっとも卑怯なのところは更新されないところなのです。