そういうこともあったわね、と、わたしはわたしの過去に対して振り返る以上のことはできない、介入不可能だけれど、そして過去より今現在どうであるか、をたいせつにすべきなんだろうけれど、周囲とのズレを感じて、ふいに虚しくなる。群れることを嫌っているのにね。あずかり知らぬところに、生きていたいと願うわたしがいるならば、大多数に埋没してしまいたいと願うわたしもまたいるのかもしれない。売った相手に本気になって逃げられたことも、売った相手に本気になられて逃げたこともなく、むしろ同意のうえでともにあろうとしたというのは余談です。わたしにも思春期があったとしたら、それはたぶん、特別な存在でありたい欲求による同年代のすべてが馬鹿らしく、滑稽に、陳腐に、感ぜられるそれでしょうね。買えるほどの経済的余裕がある程度には歳上の方々は、残念なことに感ぜられたさまざまが真実であるかのような保証をも与えてくださったのです。オトナしか知らない、知り得ないのだろうさまざまを、性別も分野も問わず、同時にわたしは未だにオトナに騙されている、オトナは嘘つきだと、手前を棚に挙げて斜に構え続けている。ちょろまかされぬように、オトナを騙し返せるほどの、お勉強をおそろかにしたのはわたしなのにね。