お気持ちが荒ぶりそうな、あるいは、乱れそうな気配を感じたら「自分がついてきてよかった/このましくなかった」上司たちを思い浮かべる、というのを反復している。お試し期間。すこし余裕があれば「いまのわたしに過去のわたしはついていきたいと思うか」、より内へ内へ問いを広げる。もすこし人間を好きでいませんか?なにが憎たらしいのです?提供者を名乗られているのでしょう?エトセトラエトセトラ……けれど、もしかすると、「なぜ人間を好きになれないのか」側からここに立たれているのかもしれない。正解は、ないのですから。学ばないと決めつけなければどんな人からでも学ぶことはあるのです、これはたしかこじんまりした新聞(商工会議所が出すような全国紙ではないやつ)で、どこかの経営者の方がおっしゃった言葉。そうしてこれはおそらく小局ではなく大局を見よ、へと繋がるのでしょう。謙虚さを、すこし忘れがちですね。最近。あらゆるインプットをして毎日毎時毎分毎秒更新されるのが人間だとしたら、前言撤回を恥じらうことはないのです。知らないことはきっと罪ではない。知らないことを、知らないままだと困る場面を想像できずに知らないことをよしとするのが罪だ。ここを罪とするのはしかしわたしの正義なのです、正義は哲学とたぶん同義。他者の気持ちどころか手前の気持ちもわからないけれども、わかろうとすることはできる。寄り添おうとすることはやめたくないですね。