このような時勢だからこそ、という人間には守るモノがある場合と、守られるモノがない場合とがある。ような気がする。あるいは両方、あるいはこのふたつ以外にもさまざま。帰省先があるイコール守られる場所があるわけではないが、それでもやはり心構えが違うのかしらん。わたしはわたしを守れるのはわたしだけで、守る役割と守られる役割とが全部俺状態だからつらいんだをアピールしたいのではなく、案外、そのような全部俺状態はありがちなことに安堵している。異質であることは、生きづらさを高める。カテゴリー外に置かれてしまうことを孤独というのなら、孤独が人間を殺す考え方にも頷ける。孤独はしかし自由でもあるはずですが。あの母親もしくはあの父親ではなく、母親/父親という役割から与えられるモノを欲しがっているんだと気付いてからどこかしら軽さが増したようなそうではないような。これを親離れというのなら、祝杯ですね。やっていくのも、幕引きも、わたしはわたしのためにわたしがやるのです。