呑み屋さんで管を巻く系の息抜きが足りていないんだなという気付きから、わたしの時間と呼べる夜が失われたことに気付いてしょんもりしかけた。そういうときに労働を、出来てしまいそうな空白に押し込めて、空白があるのは恐怖でしかないから、わたしが空っぽであるなんて思いたくないから、労働へ、逃げるのです。いったいどれだけの人がノアの方舟にのれるのか、という視点は、しかし支配による愛があってこそな気がする。では支配なき愛とは。他者の存在によって初めて存在する、顕現する以上、支配によらない愛なぞあるのだろうか。などと言葉をこねくりまわしていると、いま、脳内で並行して、ブログへ吐き出すのと並行してお話している死者が、またすぐ難しい顔をすると拗ねるのです。イマジナリーフレンドであればもっと自在に消せるのにね。過去は好き勝手に現在を侵食する。それらにやられぬためにも空白をつくってはならぬ。わたしの正義でとことんわたしは苦しめばよい。