いつまでも暑苦しいタイトルがトップにあって、いよいよその嫌気が我慢ならなくなってきた。特に昨日と今日のはげしい寒暖差で自律神経が致命傷すこし手前を負われたらしく、鎮痛剤へ手を伸ばしたいのをぐっとこらえて、自然の放熱に期待する。悲しさやつらさではなくよいことを拾い上げるとすれば、貧弱な体質のおかげで「このようなときは風邪ではなく自律神経の乱れだ」と、安易に把握できる。できてしまうからこそ油断ならぬと、あんしんをも得られる(安心ではなくあんしんなところがポイント)お医者さんの病院へ電話をかけて、時勢ゆえか、電話のみでもじっくりとお話を、まるで診察室で相対しているのと代わらないあんしんを得られるほどにお話を聞いてもらい、湯船に浸かったり、洗濯をしたり(洗濯機までの往復も難儀になることもあるのでこれは立派な運動!)、自然の放熱をうながす。ハヤリヤマイである可能性はまたしてもほとんどないに等しく、不安であれば精神科ですこし項目が多い血液検査をしてもらえばよさそうな程度。自分との付き合い方が、ほんのすこし、じょうずになってきたなと、ふむふむと、落ち着いて内面との対話ができる回数もすっかり増えた。もちろん錯乱しそうになるし、錯乱してしまいたくもなるし、生きていることを喜べない、あえて言葉にするならそのような気持ちに染まりきって、露悪的になって、ほらこんなダメな人間に構うのって無駄でしょうっていけずをして、懺悔のつもりかなんなのか、死にきれなさを詫びて、そのあとにでもきちんと着地しなくちゃなと、思える回数は増えたのです。これでも。あんしんかつたいせつな他者が見れなかったモノを、ではわたしが代わりになどというのはおこがましく(だってめいめいの感覚は全然違うのだから)、それでももし天国があって、マリア様も神様もいらっしゃって、そうだとすればあちらの世界でもまた悲しませたり心配させたりなるべくしてほしくないのです。