2020.06.05(fri)

脳味噌の加速がおさまらなくて、落ち着いてくれなくて、身近な他者や身近な他者ではないみなさま、応対せざるを得ない方々にかけるご迷惑を最小限におさえるべくインタネッの海へ吐き出す。しかし吐き出し先としてツイッタはよろしくありませんね。加速をうながしてしまう。テンションが上がることで人生の充実を感じられないのは、やはり、こうして脳味噌こねこね、屁理屈も含めて内との対話に重きを置いているせいでしょうか。正確にお伝えしなくては、わたしはみなさまの言葉を操るのが不得手なのだから註釈もモレのないように、そのような口調が責めているととらえられるのはかなしい。手前の未熟さに対して、あるいは、対話相手が目前のわたしと「ほんとうに」話しているのか疑わしくなってかなしい。あなたは、今、ここ、わたしと向き合ってくれていますか?何事も全力投球なわたしは、自罰の傾向が強いらしいわたしは、それを他者へ絶対に向けたくはないのに、加齢による狭量さが成長しているのか、他罰的に感ぜられる、手前の言動にまとわりつく他罰の傾向が濃ゆくなっているようで、それもまたかなしい。わたしは他罰が過ぎたからこそ自罰、罰というのは正確ではないのです、己をきちんと、このだらしない手前を律したいはずだったのに、また他罰へ傾くならいよいよ、ですね。しかしながら死は最後の砦ですので、これは最後の切り札とおそらく同義なのですが、まだ切るわけにはゆかない。ゆかない気がする。なんて、わたしの死にそこまでの価値はないのにね。耐性が薄まったか抜けたか、安定の剤に振り回されて心底しんどい。他者へ不機嫌さを撒き散らさないように毛布にくるまる。本音をいえば、物理的にも己を罰したい。わたしには罰が必要だ。誰ものぞんでいなかったのに、あまつさえ長生きをしているのですから。それは理由のひとつに過ぎない。なぜでしょうね。自分を許すのは、なぜ、難儀なのでしょうね。実父母のことは、おそらく、許しているのに。相対したら許せなくなるのかしら、それとも。あらゆる分類に、わたしは、どうしても、わたしを含められない。含む発想がなかなかスムーズにゆきませんね。