2020.06.01(mon)

前向きメンヘラとしましては一年の半分あたりが過ぎた時期に、おおきく体調をくずした、というのは今年度後半へ向けて新たな構えでのぞめる。新たな構え、といっても、どちらかといえば非労働モードの際のわたしの諸々、私生活の諸々ですが、しかしそこがしっかりしていないと労働がままならぬのであれば、がっちりと基礎を固めたい。この基礎は土方工事の基礎を脳内に描きながら出力しております。労働にはげんでいないと、はげんでいないときのわたしは、まったくもって無価値だ。いやだから労働にはげめば価値が生まれるのではない。ほとんど幻覚のような錯覚を労働がもたらしてくれる。与えてくれる。わたしにはなんらかの、僅かだとしても、価値がある。割り振られる役割りが、ある。この世界から消えなくてもよい。まだ存在していてよい。現実に希望をもてず、いや、希望なんてあると思えず本の中の空想に飛び込んだかつてと変わらない。わたしは、やはり、現実を直視するのがこわいのでしょうね。口ばかり達者になってしまった。いけませんね。ひとりでやる、といえば、ひとりでやらねばならぬ。お手伝いの域を超えたそれは依存だ。せめて物的依存だけにしておきたい。しておきなさいよ、わたし。それは他者のためというよりは、おそらくわたしのためなのでしょう。もう二度と置いてきぼりはごめんですから。お留守番をいくらがんばっても意味がないなんてことは、もう嫌なのです。わたしが強い?強く見せたい思惑が、思惑に、まんまと絡めとられて、あらまあ。強いわけないでしょう、もう二度とひどい悲しみにも辛さにも遭いたくなくて、現実逃避している臆病者のどこが強いのだ。背景を知らぬ他者たちがあまりにもおめでたくて、笑えてしまう。嘲るためにもしかしたらわたしは背景を御披露目しないでいるのかもしれませんね。特定の他者、甘やかしてくれる他者だけに、時間も手間もかけたい。なんて言ってはいられませぬが、いちいちひっかかっていては守りたい場所に割ける時間も手間も減って、惜しい。あまりに惜しい。そのように乗りきるのです、わたしはわたしを騙しきれ。この脳味噌を騙せ。生きづらさにやられないために、つらくなどないと騙しきれ。甘やかされ続けるとシマリがなくなったように感ぜられて、こわいですね。甘やかされ、といってもある種のみなさまにとっては理解できないのでしょう。優しい言葉しか吐かないのはペテン師です。優しさとはまあるいばかるでは、ございませんことよ。ああ、でも、置いてきぼりのチビのわたしは、なぜだかまあるいのを求めますね。この子を見捨ててしまってはもう二度とこの子は大人を信じなくなってしまうから、そんな悲しくてつらいことはないから、頭がおかしいと言われても、わたしは内なるわたし、過去のある場所でずうっとさみしんぼしてるわたしとお話して遊んであげるのです。つらさがなければマヤカシですが、せめてこの子にはもう傷付いてほしくないわ。我ながらよくがんばっていたのですね、あら、すこしわたしを、めずらしくも許せそうな雲行きです。過去のわたしを許して、そしていつかは現在も許せるといいですね。