2020.12.30(wed)

亀の歩み以下の、もしかしたらカタツムリよりものんびりと、有限不実行と捉えられるほどの進みで、もちろん急かされたらそれへ近付こうとしてもこの根深い鈍間はなかなか薄まらない。それでも鈍間なりの進歩はしていて、それにさえ付いて来てくれないから死者はずるいのだ。震災で倒壊した家屋から出てきた時計のように、そこ、で止まっている。今朝方の揺れが大きかった他にも年が明けて十日か二週間あるいは半月で阪神淡路の日が来るせいもあって、感傷が加速しておりますね。夢を売るのが私の努めだから、世間様のことは流さないでいた祖母がお店のラジオをニュースを読み上げるチャンネルに合わせて、カクテーシンコクの時くらい真剣な色でニュースを聞いて、だからきっととてつもない事が起きたんだろうと、ぼんやりとした記憶と、直接的ではない被害としかわたしは受けていないが、ならばここまで心を砕かなくてもよいはずかもしれないのに、口当たりのよい表現でいうところのスルースキルがなっていませんね。閑話休題。感傷が加速し、あまつさえ泣いてしまう日は満月のことが多いと気付けた。月の満ち欠けに、はたして実際のところ人間の精神が左右されるのかどうか、折り目正しいわたしもいるが、試しに月の満ち欠けを目視できるカレンダーを導入し、満月が来るらしいぞとせめて構えたら情勢はマシになるのではと、ひとまずやってみようよ手を動かしてみようよと、好奇心旺盛さたっぷりのわたしも囁く。様々なわたしといえば最近はすっかり幼児退行的な仕草がなくなった自覚をしていたのですが、どうもそうではないらしいことも判明していて、ああこの脳味噌だか精神だかの瑕疵には寛解がないのだなむしろ深まるのだなと、改めて感じつつも絶望はしない。どこかで開き直っている。早くから大人としての振る舞いをがんばっていたはずなのだから、多少、多勢より早めに呆けてしまってもいいのでは。許されはしないだろうか。自身に甘くなることが「丸くなる」ことであるなら、それは少し好ましくないですね。わたしが大切にしたい定規によると、好ましくないわ。

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1231追記

ここで吐き出すときは、ほとんどいつもぐちゃっと、脳味噌の混雑が極まってそれらが全身をおびやかすように、混乱に近しい状態になっていて、だから「鈍間」にやたらとこだわっている。読み返すと、ああこだわっているなこいつと感じる。

が、ウエスクラー検査とSCTをやった当時の心理士の言葉をきちんと思い出せばよい。のんびりを補うあるいは覆い隠すほどに、見えないほどに、例えば誰よりも丁寧な業務を心掛けるだとか、やると言ったことはやりきる、やりきれないと感じたなら対策を打ってでもおそれずゴールに辿り着くだとか、不得手な部分を支える得意分野もあることを、来年は忘れずにいたいですね。